通説覆すDeepSeekの実力、企業のAI戦略に影響も
2025年2月10日 2:00


中国の新興企業DeepSeek(ディープシーク)の生成AI(人工知能)は、AI市場のゲームチェンジャーとなりそうだ。投資資金や半導体、学習データが限られた中国勢が、制約を逆手にとった低コスト、かつ高性能の開発に成功しつつある。同社のような「オープン型モデル」が広まれば利用料も下がる。企業のAI戦略も見直しを余儀なくされそうだ。
日本経済新聞社は、スタートアップ企業やそれに投資するベンチャーキャピタルなどの動向を調査・分析する米CBインサイツ(ニューヨーク)と業務提携しています。同社の発行するスタートアップ企業やテクノロジーに関するリポートを日本語に翻訳し、日経電子版に週2回掲載しています。
ディープシークは、強力なAIモデルの開発には何が必要かというこれまでの説を覆した。
梁文鋒氏が運営するヘッジファンド「幻方(ハイフライヤー)」から生まれたディープシークは2025年1月、オープンソースの学習済み推論モデル「R1」を発表した。性能は米オープンAIの推論モデル「o1」に匹敵する。
ディープシークは複数のテクニックを駆使し、限られた半導体と約560万ドルのコストで基盤モデルを訓練したとしている。米ライバル各社が同様のモデルの訓練に1億ドル以上を費やしているのに比べればごくわずかだ。
その効率的な開発を受け、米企業のAI投資額に疑問が生じている。CBインサイツのデータによると、AIインフラへの支出がかさみ、巨大テックの設備投資はここ数四半期で計500億ドルに達している。一方、ベンチャー投資家は24年だけで米AIスタートアップに763億ドルをつぎ込んでいる。
このリポートでは、ディープシークの台頭で示された5つのトレンドについて解説する。
1.AIインフラのコストに厳しい視線
2.ベンチャーキャピタル(VC)とAIスタートアップは再調整の局面に
3.中国勢、制約を逆手に革新的な開発
4.オープンソースのエコシステム(生態系)が勢いづき、中国勢の重要性高まる
5.企業のAI戦略、オープン型モデルに関心
1.AIインフラのコストに厳しい視線
米国では数十億ドルの資金調達のおかげで、生成AIの開発が急速に進んでいる。
巨大テックは高性能の大規模モデルの訓練にはより多くのハードウエア(半導体など)やエネルギーが必要になるとの考えに基づき、AIインフラへの支出を正当化してきた。

ディープシークは米テック大手に匹敵する強力なモデルをはるかに低コストで開発できるとされており(もっとも、真の開発コストについては疑問が残る)、こうした前提を覆しつつある。
同社は株式市場にも衝撃をもたらしている。R1の発表を受け、1月27日の株式市場では米半導体大手エヌビディアの株価が15%以上下落した。インフラを手掛ける米オラクルや、米電力大手コンステレーション・エナジーなどAIバリューチェーン関連銘柄も急落した。
だが長期的には、AIの運用コストとインフラ開発費が下がれば市場が拡大し、テック大手は恩恵を受ける。コスト障壁の低下によって企業のAI導入が進み、米マイクロソフトや米アマゾン・ウェブ・サービス(AWS)などクラウド事業者は安価なAIサービスを通じて拡大する需要をつかむことができる。
AIの利用が広がれば、推論レイヤーの企業も恩恵を受けるだろう。エヌビディア、米アドバンスト・マイクロ・デバイス(AMD)、米インテルは推論用のAI半導体(学習済みモデルを運用する半導体)市場を支配しており、米dマトリックス(d-Matrix)や米グロック(Groq)などの新興勢は特に電力効率で進歩を遂げている。グロックは24年7月、シリーズDで6億4000万ドルを調達した。

2.VCとAIスタートアップ、再調整の局面に
ディープシークの進歩を受け、基盤モデル開発企業に投じられてきた巨額の資金は減る可能性がある。オープンAIと米アンソロピック(Anthropic)の2社だけでこれまでに300億ドルを調達している。
AIスタートアップがインフラ構築のために巨額の資金を調達するのはこれまでよりも難しくなりそうだ。

一方、米開発各社は計算能力とデータで優位を維持し、ディープシークのアーキテクチャーを採用するだろう。優れた資源とより効率的な開発手法を組み合わせれば、米国勢の性能面でのリードは広がる可能性がある。
ディープシークはオープンAIのモデルのアウトプットを使って自社モデルを訓練しているようだが、事実ならオープンAIの利用規約に反していることになる。ディープシークのチャットボットは自らをオープンAIの製品だと認識している。オープンAIのモデル(o1推論モデルを含む)が公開されていなければ、ディープシークのR1は生まれなかった可能性が高い。
3.中国勢、制約を逆手に革新的な開発
中国のAIスタートアップの資金調達額は計52億ドルで、米国の763億ドルの7%にとどまる。
中国政府がここ数年、未上場企業を取り締まってきたため、調達環境が冷え込んだ。

さらに、米国はモデル開発のカギとなるエヌビディア製などの最先端AI半導体の対中輸出を制限している。
重要部品の不足により、ディープシークのような企業は創意工夫を余儀なくされている(注:ハイフライヤーが米政府の制裁前にエヌビディアのAI半導体「A100」1万〜5万個を入手したとされる。これを元手にディープシークを創業した)。
ディープシークはパラメーター数が6710億のモデル「V3」の開発にエヌビディアの「H100」のような強力な半導体を使えず、代わりにモデルのアーキテクチャーから低レベルのGPU(画像処理半導体)プログラミングまで様々なレベルでの入念な最適化により、限られたハードウエアを極めて効率的に使うことに力を注いだ。これにより、強力なハードウエアを使わなくても優れた技術力によって素晴らしい成果を達成できることを実証した。
一方、同社のR1モデル(V3をベースモデルに活用)は、広範なラベル付きデータを使わずに強化学習で高度な推論能力を獲得できることも示した。これにより、「高性能を達成するにはコストが高い人間のフィードバックによる広範な学習が必要だ」という概念を覆した。
この他に注目すべき中国企業は、「AIの虎」と呼ばれる月之暗面(Moonshot AI)、智譜AI(Zhipu AI)、百川智能(Baichuan AI)、稀宇科技(MiniMax)、零一万物(01.AI)だ。5社はいずれも中国のテック大手から出資を受けており、企業価値は10億ドルを超える。

中国のAIエコシステムや、今後定着するAIアプリケーション、特に消費者向け「キラー」アプリには目を光らせておくべきだ。
例えば、稀宇科技はアバター対話ボットや動画生成ツールを備えたAIアプリ「Talkie」を米国で提供している。(もっとも、このアプリは24年12月、米アップルが運営するアップストアから削除された)。ディープシークのモバイルアプリが現在、米国のアップストアの無料アプリランキングで首位に立っていることも、中国のAIスタートアップが米消費者市場に進出しつつあることを示している。
4.オープンソースのエコシステムが勢いづき、中国勢の重要性高まる
ディープシークの進歩はオープンソースの動きも勢いづけている。つまり、限られた資源と計算インフラでオープンな最先端モデルを開発可能なことを示している。
CBインサイツは先のリポートで、モデルの訓練コストが膨らみ、開発競争ではクローズ型が優位に立っていると指摘した。クローズ型AIモデル開発企業の20年以降の調達額は375億ドルに上る一方、オープン型開発企業は149億ドルにとどまる。だが、ディープシークの効率的な訓練手法により、競争力の高いモデルの開発には巨額の費用が必要だという前提は覆されつつある。

中国勢はここ数カ月、特にオープン型モデルで米国勢との性能の差を縮めている。CBインサイツが25年初めにまとめたモデル性能ランキングによると、中国のアリババ集団傘下のアリババクラウドが開発したオープン型モデル「通義千問(Qwen)-2.5」は、米企業のクローズ型モデルに割って入り、上位に付けている。推論モデルを含めた現在の首位はディープシークのR1で、オープンAIの「GPT-o1-mini」が続いている。

中国がトップクラスのオープン型モデルを提供し続ければ、米国勢は中国企業の技術に基づいて開発するようになり、AI開発における中国の重要性が高まるだろう。
5.企業のAI戦略、オープン型モデルに関心
オープン型モデルの性能はオープンAIなど利用料金の高いクローズ型に近づいているため、企業のAI戦略ではオープン型の選択肢を増やす必要性が出てくるとみられる。
さらに、訓練コストの大幅な低下により、オープン型モデルの利用料金はさらに下がるだろう。企業はAIコストが下がり続けることを前提に戦略を立てるべきだ。
例えば、ディープシークのモデル「Reasoner(R1をベースにしている)」の利用料金はオープンAIのモデル「o1」の約30分の1とされる。もっとも、データのプライバシーへの懸念から、米企業がディープシークのAPI(異なるソフトウエア同士をつなぐ仕組み)を使う可能性は低い。ディープシークのモデルを使う場合には代わりにクラウド費用を払う必要があるが、それでもなお同社のAPIの価格水準はオープンAIやアンソロピック、米グーグルなどのAPIプロバイダーに圧力をかけるだろう。
オープン型モデルは低コストなだけでなく、コントロールやカスタマイズの余地が大きく、データのプライバシーを守りやすいなどのメリットもある。このため企業での展開に適している。
オープン型モデルの導入を支援する新たな世代の企業が登場している。CBインサイツは合成学習データ基盤やAI展開支援ソフトウエア、モデルのモニタリング基盤などAI開発の様々なプロセスのオープンソースツールを手掛ける約70社を図にまとめている。
企業の関心がオープンな開発に移れば、オープン型開発を支援するスタートアップはさらに増えていくだろう。

